法科院生弥生殿見聞録

だいたい愚痴しか書いてない。

ふと思う「隔絶」

 いつも戯言しか言ってないだろ(マジレス)。

 前期ほどは予習とかの負担がない(気がする)けど、まぁそう呑気にしていると試験で痛い目見るんですけどね。前期の反省を生かしてちゃんとやらなきゃ・・・。次こそ後がないぞ!

 

 この世の中には現場が無数にあって興味・関心すら抱かないことは就中珍しいことではありません。たとえもとより抱いたとしても、いわば期待外れに終わることも多々あるところであります。それはそれでけっこうでしょう。ハナから見ないよりはいいでしょうし、なんらかの知見や経験は得られますし。そうして得た知見は自分の中で経験則に帰納させることができて今後のいわば予感と言いますか、自分が好きそうなモノに対する「直感」の基礎ができると思えば意義があると言ってよいでしょう。

 

 だからこそ、興味・関心を抱いて期待どおりであったならば、その喜びはひとしおであります。無数の現場がありながら、興味・関心の有無で多くが「そぎ落とされる」ワケで、さらに、ごく少数が残り、そのうえ、そのごく少数からサブスク等で聴いてみよう(あるいはもう一度聞きなおしてみよう)や「また見たい」となれば僥倖このうえなきことであります。これがオタクを辞めることのできない所以というもの。

 

 反面、かなりのレアケースですが、「好きだったものが好きでなくなった」こともまたありえます。まぁ何がとは言いませんが・・・。

 

 閑話休題

 

 「あっちがたてばこっちがたたず」ということは往往にしてあります。

 自分の好きなものというのは他者にとってはそれほど良いものにも見えない、興味関心がないということがあれば、他者が評価するものは自分自身にとって到底そう見えないこともあります。

 

 すなわち「某現場を高く評価する人間がいるけれども・・・」ということですな。未だにコンセプト面では好きになれそうにないなって思うけれども、反対にに楽しく見ている人間が当然居てそういう方々に恵まれているのであります。

 

 去った人間に対して、残る者と新しく入る者。それを自覚すると、ああ隔絶されてしまったのだなぁとしみじみ思います。

 とはいえ所詮個人の好みに過ぎませんし、致し方のないことですが、そう考えるとやはり徐々に「距離」というものが大きくなっているのだと思います。まぁそれでよいわけですが。いずれは、いやもう既に埋め得ぬ領域にあるのでしょうか。

 

 来月で「解散」してから、あの日から1年が経ちます。私も彼女たちも様変わりしましたが、こうやって月日を迎えていくのだと思うと、時の流れというものを意識せざるを得ません。

 そして人の心もまた川の流れの如く絶えず流れていくのであります。もはや興味を失せてしまった。

 

 ───ただ私に許されたのは今追う者の邪魔をしないことのみ───

 

P.S. うんまあ・・・これで良かったんだと思う。たま~に行くと現場の雰囲気はなんとなくいいと思うし、オタクもそう言ってる(伝聞)からそうだと思う。亡霊みたいなのは目立っちゃダメだからね。