法科院生弥生殿見聞録

だいたい愚痴しか書いてない。

在りし日と変わってしまったもの、変わらなかったもの

 コロナ禍に入り、ライブが全滅した2020年3月過ぎからとうとう3年が経ってしまった。あれから様変わりしてしまった。かつて存在したグループは解散し、かつてステージで輝いていた「星」たちも落ちてしまった。活気のあるフロアもずいぶん減った。

 ようやく若干の希望が見えたようで「こころの広い」フロアを「再現」しているところがいくつか見られたし、コール可能現場に至っては場所にもよるがそれほど珍しくもなさそうである。いや、声出し禁止はさすがにもうおやめいただきたいのだが・・・。

 

 

 あれから私はなにも変わっていないのだ。かつての関ケ原竜王のようなフェスを初めて見て「新世界」の存在を知り、これほど楽しいものがあるのかと驚愕したものだ。コールやMIXが好きで床を見ながら叫び、まともにステージを見ていた覚えがない。フリコピが好きなわりにレパートリーが少ない、偏る原因であるのだが・・・。

 

 声出しが禁止になって、新時代はフリコピ!との悟りを得た。そして、声出ししなくても満足できるグループを探し求め、どうにか一個見つけたのだ。もっとも、その一個との出会った僥倖は長くは続かなかった。

 

 解散したのである。残念ながら。当該グループは和風がコンセプトであったが、和風系のグループなどそうそうない。この特異なコンセプトを見つけた時は感動を覚えたものだ。自分の求める―――そうそう見つからない条件である―――ものにマッチできたのだから。

 当該グループの現場をかつては主現場としており、当時名古屋に住んでいた私はよく遠征していた。貧乏学生の私は平均すると月2回東名を高速バスで行き来していたのである。求めるものに出会えたのはよかったが、たった一つ「失敗」をした。

 それはフロア自身はそれほど面白くもなかったことである。フリコピをするオタクもいなかったし、当然コールするオタクもそういなかったのである。いわゆる「お葬式」である。それはそうだろう。ピンチケや多動がわんさかいるような関ケ原が好きな時点で合うはずもない。コロナ禍でなければ出会うことはなかっただろう―――当然あの子とも―――。ただ別段これは問題がなかったのである。そもそもそのようなものを期待できる世情ではないし、コンセプトがただ珍しく好きでそれでよかったのだから。

 しかし消えてしまった。好きな「あの子」はアイドルをどうにか続けているが、かつて好きだったコンセプトはもはや存在しない。「ジャ㊙㊙ズ」をコンセプトにしているようだが、どうも好きにはなれなかった。最初は物珍しさで見ていたが、回数を重ね、引っ越しで遠征をやめている間にもはや合わないと悟らざるを得なかった。他のファンたちと私の温度差にそむけることができなかった。自覚するしかなかった。

 

 非情である。いや、現実が残酷なのか?血も涙もない人の感情なのか?

 どのようにあるべきかを決定するのは、究極的には彼女達の自由なのである。我我は受動的な観客にすぎず、自分の合うものを取捨選択するにとどまり、自分好みに変えることはできない。たとえ合わなかったとしてもそれはあくまで「当該個人が」の領域を出ることはなく、むしろ「合わなかった」ものに適合する人が当然いるのである。

 久々に彼女たちの下へ行った日は特に多かったらしく、賑わいを見せていた。

 もうこれでよかったのだろう―――支えてくれる人が他にいるならば。

 

 もはや合わないところにいる理由はないのだ。私は私の欲するままに生きよう。

 私が好きになったアイドルなのだ。きっと上手くやるだろう。

 

 環境がやはり変わってしまったのだろうか?いや、好きなものの対象が変わったのだろうか?令名の和歌を好きになった自分が「本来」だったのだろうか令名の和歌がなくなってしまってから別の現場に行くようになってから私は「本来の自分」を取り戻したのだろうか?

 変わってしまったもの、変わらなかったものとはいったいなんだろうか。