法科院生弥生殿見聞録

だいたい愚痴しか書いてない。

「あの日と今日」に思いを馳せて

 今日は元推しの誕生日らしいね。昨年はまだ令㊙があったので昨年の生誕はちゃんと行きましたが、今年はねぇ・・・。去年ほど自由に動けないから平日には持ってこられると流石に行けない。

 

 ともっともらしい言い訳をしたところで。すっと人が変わったように現場変えたオレが行けるわけないだろ。常識的に考えて・・・。ただただ会わせるがない。

 

 昨年の9月下旬に思いを馳せてみますかね。

 「不祥事」を三周年ワンマン終了後に発表して、動員がスカスカになって減ったオタクを取り戻すことはできず、なにか疲弊した、鬱屈とした雰囲気があったように思われます。確かこの週に活動終了の発表があったはず。

 動員数に関して言えば「当該」の生誕祭さえも例外ではなかったのでした。日曜日の夕方に開催されましたが、休日に開催されたライブにしては正直なところ閑散してた覚えがあります。どんなによく見積もっても来場者数は30~40人くらいだったかなぁ。特典会まで来てたのはそれよりも少ないくらいだったような。

 

 「疲弊」はライブ面においても出ていたようでした。「主役」含め、二名三名ほど、ライブ中に舞台裏に行くことがあり、おそらく体調が悪くなったからなのでしょうと思いますが、なんとも悪く言うと消化不良な有様でした。あまり体力がないコだと思ってはいなかったし正直意外でした。それこそ令㊙の二周年ワンマンは持ち曲を詰めに詰めて全曲(当時18曲ほど)を全披露してこなすくらいにはフィジカルがあると思っていたので体調不良でそんなトラブルを起こしていたのは驚きました。

 もっとも事の顛末を考慮すれば無理からぬことだったのでしょう。活動終了の発表は生誕祭以後でしたが、そもそもその方針自体は生誕祭以前に決まっていてもおかしくないでしょうし、それを抱えての生誕祭となれば正直「主役」自身もつらかったものと思われます。・・・生誕祭の様子で急遽決断したかもしれませんがね。今になっては確かめようもありませんが。

 

 いずれにしても、あのコも含めメンバーたちは憔悴しきってどうにかそれを隠していたのでしょう。

 今となっては後からいくらでも言えますし、事後諸葛亮の愚を犯すようではありますが、「ここが限界なのだろうな」という内心の確信を得たのは去年の生誕祭の同じくその日でした。

 数回行けども動員数は増えることはなく、行く度に限界まで減って過疎したように思われた現場は何一つ変わることはありませんでした。せっかくの祝うべき生誕祭なれども、なにか「欠けた」ような所感でありました。その矢先で生誕祭の有様だったのですから、鑑みればコンディションは到底良いと言えるものではなかったのでしょう。

 その矢先での「終焉」なのですから、既に憤懣やるかたない状況だったのでしょう。

 

 とはいえ別にあのコが悪くはないのですし・・・。それどころか被害者もいいところでありますから、当時の現況はともかく、結果としてはあまりに気の毒だったなぁと思います。

 当時の「いつか」に「運営」がメンバーの意思にもう少し委ねるか、伺ったのなら違ったことになっていたのでしょうか。それとも既にもう立て直せない状況だったのでしょうか。その答えは迷宮入りするような気がします。たとえ答えを出せたとしてもその頃に「思い出」は忘却の彼方にあるようにも思いますが。

 

 あの頃からずいぶん様変わりしました。当時の現場とまったく接点もない現場に私は行くようになったし、そこで心底楽しむほど「思い出」になんらの歯牙にもかけぬことが増えてきたように思います。むしろそれが良いのだと思います。どうしようもない掃きだめで縷縷述べるにとどまるうちに「良い思い出」として「彼方」へ行くのが良いのだろうと。思いでさえも「怨念」にならぬうちが良いのだろうと・・・。もう二度と関わることはないのでしょう。ああ、いい思い出だった。楽しかった。楽しませていただいた。感謝・・・