法科院生弥生殿見聞録

だいたい愚痴しか書いてない。

プレゼントの受領に関する検討─某現場のケースを踏まえて─

第1 フリコピのアレコレ

 1.

 ビタバレ、なんとか覚えられそうなところまできた(どうでもいい報告)。間奏のところ覚えたら全体は覚えきった状態になる。あとは回数勝負で回数重ねて精度を上げていく方針で良さそう。

 大筋は覚えてきた段階で気づいたけど案外覚えなければいけない箇所って多くないんだよな・・・。イントロ→1番Aメロ→同Bメロ→同サビまで覚えたら、二番全体とアウトロは微修正で覚えるくらいで済むみたい。あとCメロだけは別途覚えれば(Cメロ内でも多少被るところあるけど)、全体の流れは問題ない。あとはちゃんと身体の動きに反映させられるように実戦するしかない段階に持っていけることがわかった。

 覚えるのはまぁ・・・そんなに苦手ではないんだけど、身体能力がね・・・。オタクして無理やり付いた体力とかもあるけど、小中高と万年体育科目では辛酸を嘗めて参った次第。。。体力テストもマラソン大会も最悪の有様だったんだよねぇ。フリコピオタクとして鍛錬はしてるけれども、下地の基礎部分がかなり弱いからそこをフリを覚える暗記部分で勝負、カバーしないと正直厳しいし、実際振り入れは現場で何とか対応するよりも動画を繰り返し見て暗記して乗り越えてるパターンがほとんど。あとは・・・まだ若いから何とかなってるところもある・・・。とはいえもう体力等の身体能力は劣化する一方だし、嫌な運動とはいえ最低限なにかしらやらんと、フリコピの観点からも弱体化してしまう憂き目に遭うわけだ・・・。

 だからこそ(?)、現場でのフリコピが運動(まぁ何もやらないよりはマシ?)みたいなところあるし、あとターン等の改善のためにプランクや腹筋運動などをやることを決意。←フリコピに真剣すぎだろ・・・。

 あとはまぁ・・・ロースクール生活はほぼ全部がデスクワークみたいなもんだし、運動する時間も暇も体力も残らない(特に現場に出ていればそれでほぼ余暇は底を付く)し、単純にリアル私生活面からの観点もある。

 

2.

 長くなりましたが、フリコピをめぐる私生活状況などに触れました・・・。とにかく現代人、意識しないと運動しなさすぎるし(肉体労働を除く)、そもそも生きていくのに結局健康一番ですな。健康じゃなきゃオタクできないし。生活習慣に由来するような病気は何とか避けたい。あと、何もしなければ太っていく有り様だからねぇ。。。

 

 

第2. そういえばそんなことがあったな・・・。

 1.問題の提起とその所在

 ふと某現場で思いついたというか、確認したことがあって・・・。なんかプレゼントがアイドル本人に渡せない(?)とかなんとか言ってて、物販スタッフに渡してねという旨があったと思うのですが。まぁ目的はさておき理解しないわけでもないけど、いかにも方針を決める当の運営が現場に来てないことを露呈させているなぁと思いました。

 おそらく当該規制の目的・趣旨は連絡先をコッソリ交換するみたいなことを防ぐためにするのかと思いますが・・・。というかソレを引き起こしたことが遠因で大失敗したんだし何らかの対策として打ち出すのは理解できんでもない。

 ただ手段として適切か?というのが甚だ問題に思いまして・・・。問題というよりもあまりに正鵠を得ない気が・・・。そこで、より良いと考えられる手段について触れつつ対策としての適性について検討します。

2.より良い手段の有無

 結論から言うと別に後からのチェックをちゃんとすれば良いんじゃない?というだけけではと考えられます。以前はチェキ撮る際にプレゼント渡して一旦メンバーさん又はチェキスタッフ(以下単に「スタッフ」)さんが物販の机付近の荷物で纏めて置いてからチェキ撮影という形式だった(前渡した時はそうしたと思う)はずなのですが、少なくとも渡してから荷物と纏めて置くまで時点で連絡先のメモ等を混入させるにはわざわざ入れに行くなどの不自然な行動をしなければならないような気がします。

 すなわち、渡してから置きに行く時点で「異物混入」させる余地というのはほとんどないのではないか、ということを申し上げたく。そこで、物販が終わり次第各メンバーに振り分ける前にスタッフがちゃんと確認すれば足りると解します。この方法だと、物販終わってからの作業ですからスタッフさんが特典会の回し等で焦ることもないでしょうし、また不必要に仕事を増やすこともないでしょう。プレゼントの確認はこの現場に限らずやっていることですし。

3.変更前の形式の必要性

 次に、最初に形式的とはいえファンがメンバーに渡している従来(厳密に言えば「かつて」なのだろうか)の方式のメリット等について検討します。

 この方式では通常、引渡し→譲受(受領)→置きに行く、の流れになりますが、相手方(メンバーです)が受け取った時点でチェキ撮影に入ることによってプレゼントを持ちながらのチェキ撮影をすることができます。プレゼントと撮ると、いわば記念撮影のようなインセンティブが働くものと思います。プレゼントと一緒に撮る瞬間の喜びといいますか・・・そういうものをチェキに収めることもできますし、またファン側ではチェキが残るので軽い記念にもなるでしょう。あとメンバー側が喜んでいるのならば、なおのこと記憶に残りやすいでしょう。

 このように、メンバーさんが喜んでくれる前提とすると、喜ぶ姿が時間的場所的に間近に見れることになり、少なくともファン側に対するインセンティブは働くのではないかなと思います。反対にスタッフさんを介しての引渡しとすると、このようなインセンティブは一切働かないことになります。

4.「対策」の妥当性

 さらに、最初に検討した対策方法としての妥当性に附随する内容ですが、スタッフさんの手間という観点から検討します。

 スタッフさんの人数が慢性的に足りていない某現場ですが、人員が足りていない中、手間を増やすのは妥当ではないということです。

 現場に行くと、大抵スタッフが1名であわただしく回されているどころか、チェキ待ちのメンバーがチェキスタッフ役を担う始末。私が行った限りでは(とはいえ月1ペースで行ってるのですから、根拠としては弱いかもしれない)、関ケ原HYPEの対バンくらいだった記憶です。流石に人が集まりそうな回では1名増員して対応しているようですが、おそらく平常時は1名のようです。また、最初にチェキ販売が終わって撮影に入ると、当然1名しかスタッフさんが居ないわけですからチェキ撮影に駆り出されて物販の机には誰も居ない状況が発生します。そんな中でスタッフさんを拘束する手間を増やすような仕組み作りは現場の実情を無視したものであり、著しく妥当性に欠くものと考えます。

5.結論

 以上より、スタッフを介したプレゼントに限るという運用は実情に即しない妥当性に欠くものであり、顧客のファン側の気持ちを無視したものと考えます。

 また目的からしてもこのような手段を取るべきとも思えません。今までとおりでいいのでは・・・。まぁちゃんと隅々まで確認するとかそれくらいでいいでしょう。

 

6.備考・末尾

 そもそも論としては、仮にもお金を貰ってる顧客を信頼してないような運用って商売する側の判断としてどうなの?感はある。まぁ経験的に疑いたくなるのはわかるけどさあ。お金を落として続けてくれてそれなりの頻度で通ってくれる相手に対していかにも信用してないような振舞いって流石にどうなんだ。対人サービスも重要な要素なのにねぇ。リスクはあってもなお、できるだけファンとメンバーの距離は近づけておくべきじゃなかろうか。あと、別に現場の雰囲気悪くないと思うし、顧客(ファン)を信用してもいいのでは。これが性善説的で甘いと言われればそこまでだけど・・・。

 あとは・・・これは考えすぎだと思いたいけど、運営がオタクどころかメンバーさえに対しても信用してないのでは?と窺われる。

 もとより運営面とかでは一切の期待をしてないけど、やっぱりこういうところで「再確認」しちゃうとああ、厭だなって思いますね・・・。あと、相変わらず現場のこと、ファンのことなにも知らないんですね・・・と。特に今の体制になってから(まぁ元からそうで見抜けなかっただけみたいだけど)、独断専行が甚だしいこと限りがない。

 曲が弱いからとか実質的に推し変的になってて気まずいからとかがあんまり行かない理由(主現場乃至副次的に通う現場にしない)にあるけど、別に前者に関してはいわゆる「スルメ曲」みたいに何回か見て気に入るパターンだってありえなくはないし(実際のところ、そうはなってないんだけど)、後者に至っては個人的なお気持ちレベルでしかない、考えなければ良いだけで、メンバーさんに配慮する理由はあんまりない(とはいえ今までの経緯を見ると姉貴以外あんまり話したくはない・・・嫌いとかじゃないんだけど)。

 やっぱりメインとなるのはまぁ・・・こういう運営の怠慢というか・・・現場に来ないから(始動以来「一度も」来ていないのではないか、という言説が有力に主張される)やることなすこと、意味不明だし明後日の方向どころか進歩がない点において、おとといの方向に言ってる気がして、ここが愛想が尽きるポイントだなって思う。

 Mtgやら意見交換してるんだろうけど、結局運営の暴走を止められてないんじゃないかなって思います。もはや聞く耳がなくどうしようもないのか、メンバー側からあまり有力に主張できていない(悪く言えば主体性に欠けている)のかわかんないけど。流石に後者はないと思いたい。少なくとも御方はそうではない。

 それはそうと、相変わらずこんなところ(と言っては・・・)で腐らずに頑張れてる御方はすごいな・・・になてり。

 

 なんか説得力を自分なりに構成するためにやたら格式ばったというか、久々の長文になってしまった・・・。それでも厳密には論理的な文章ではないけど・・・。いわゆる三段論法的な作法はできてないし。まぁ論文じゃないので別にいいんだけど・・・。せめて話に最低限のわかりやすさ(伝わりやすさ)はあると信じたい。