法科院生弥生殿見聞録

だいたい愚痴しか書いてない。

名もなき者の回想録───彼は何を悟ったのか───

 私は「J」である。「RW」の「解散」を無事を見届けた。「モノの終わり」に立ち会えたのはある種の幸せであったように思う。

 

 実は私は「不祥事の発表」以来、どこか「準備」をしていた。このまま持つのだろうか、いや持たないのではないか。論拠を持っていたわけではないが、なにか直感めいたものがあった。当たって欲しくはなかったが、結局直感どおりの結果になってしまった。

 

 当時、私は実のところ、ある種の見切りというのが適切であろうか。次の「行き先」を探していた。

 その行き先を「I」とする。このグループは結成10年を優に超える、地下アイドルの中では随一の老舗であった。そのグループはコールしても良し、フリコピしても良し、地蔵も良しの多様性そのものであった。そしてとりわけ曲が特に「強かった」。

 

 

 私は「RW」に通い始めたころにはいわゆる「フリコピ勢」であった。フリコピとはアイドルのダンスを真似て動いてライブを鑑賞するスタイルをいう。当該グループの振付けの難易度はなかなかのレベルであったし、結局覚えきれることはないくらいには容易ではなかった。せいぜいステージ見ながらサビは対応できるくらいであったように思う。もっとも、2,3曲ほどは動画がたまたまあるなどして概ね覚えるくらいに身についた曲もあった。

 そんな「フリコピ勢」であった私だが、ここで思わぬ大誤算をしてしまっていた。それは「RW」はフリコピ現場ではなかったことである。それもそのはずで振付け自体がなかなか高度なレベルで容易に真似できるものではなかったし、何よりそもそもフリコピ勢が集まるような現場ではなかったのだ。というかもとよりいなかったのである。

 私自身が一切気にしなければ良い、というだけのことではあるが、どこか浮いたような気分を現場に行く度に味わっていた。ただ、結局「解散」の日まで意に介することなく現場に通った。

 では、なぜ通えたのか・・・というといくつか理由はあるが、とりあえず曲に満足していたからそれで良かったこと、もう割り切ってしまい気にしなかったこと、そしてフリコピというスタイルが思いのほかアイドルさんからウケが良いことが分かったことが挙げられる。最後の「ウケが良い」というのは、かなり主観的で正直根拠らしい根拠はない。なんとなく当時の推しは喜んでいたであろうし、実際嬉しそうにしている素振りを少なくともしてくれていたと思う。真意は不明であるが・・・という程度でしかないのだが・・・。

 

 ただこれが反面に働くこともあった。いや最終的に私がフリコピ勢であった事実は消極的な方向に働いたのだった。

 フリコピ勢がフリコピ現場「ではない」現場に通う、ということはあまりにミスマッチングなのである。そうすると冒頭に述べた「見切りをつける」段階に進むことになる。殊に「RW」が「解散」してしまうことに対しては。

 このように「ミスマッチング」を犯してしまう「大誤算」をしていながらも、曲が好きだったし、そうであるなら推しも好きであった一心に通った。「解散」の発表があってからは、とりあえず最後までは通おうと思えたし、それを貫徹することができた。

 ただ最終的には、この「ミスマッチング」からは「解放」、すなわち離れることになってしまった。

 もとより曲や世界観が好みであった、ということが唯一の私と推し(現場)を繫ぐ鎖であった。「解散」によって曲や世界観が変わってしまうのならば、もはや「ミスマッチング」の呪縛に囚われる理由も必要もどこにもなかった。もっとも、「RW」から「.RV」になるまでの期間には半年ほどのブランクがあり、その間推しの活動だけはあったから会いに行っていたのであるが・・・。

 こうして最終的に「ミスマッチング」から逃れ、フリコピ現場であることの確証を抱いていた現場に通うことになった。

 

────「J」は最終的にフリコピ現場である「I」に通い詰めているようだ。フリコピ勢がフリコピ現場にいくことの相性の良さを改めて噛みしめているようであり、心底楽しんでいるようだ。「J」は「RW」に居た時よりも楽しいのではないか、とさえ思えるものの、やはり単純に比較できるものではないし通う理由が微妙に重ならない以上「あれはあれ、これはこれ」という風に考えているようだ。逃げるような言い方をすれば、どっちも良かったということであろうか────

 

 そしてこの「ミスマッチング」は「.RV」を主現場に定めなくなったことの直接的な理由の一つになった。「.RV」は曲自体もそれほど好みに思えなかったし、なによりやはりフリコピ現場ではなかった。そして、フリコピが楽しいタイプの曲もなかった。フリコピ勢の私からは何らの魅力も感じなかった。

 

 反対に「I」に通っている私は気分が高揚しているように思う。当該がフリコピ現場である以上、何かアットホームな感じを覚えるものだ。

 観客には各々の楽しみ方をすれば良い。確かにそうであるがフロアの空気感に左右される必要はなくとも、ただ考慮すべき事項、換言するとすなわち殊に自分の観戦スタイルに合うかどうか、であるのは確からしいのかもしれない。