法科院生弥生殿見聞録

だいたい愚痴しか書いてない。

名もなき者の回想録───彼が気づいたこと───

 私は「J」である。「RW」の「解散ライブ」があった。晩秋にあった。これを見届け、当時住んでいたN市に帰ってきた。「RW」は終には「解散」をしてしまったが、推しの「F」の活動はどうやらあるらしかった。「RW」自体は好きだった。コンセプト、世界観、衣装、曲・・・これがもう二度と現れることはない。だが・・・当時の私を振り返れば、「とりあえずは推しが活動してくれる」という事実は唯一の支えであった。

 

 もっとも、今思えば・・・この「期待」は何もかも泡沫に帰した。しかし、この当時の私にそのような知る由もなかった。ただ、推しが居てくれるならば・・・それでも良いと思っていたのだ。

 

 一週間ほど経ち、「F」の新たな活動が決まった。有名男性アイドルグループの曲をカバーし、衣装なども手作り感が多少ある気がする以外は雰囲気をなぞらえたモノであった。推しはズボン衣装であった。まさしく中性的な男性アイドル・・・そのへんのメン地下よりもずっとかっこいい。

 私の・・・当時の推しの「F」は身長も高い上にショートカットでボーイッシュであった。その意味では似合っている、かっこいい以外の何物でもなかった。「RW」の時でもかっこいいよりの雰囲気であったが、それを超えるものであった。正直に言うと、ボーイッシュよりは好きであったから、その見た目には心底歓喜したのだった。

 ただ、口惜しかったのはその衣装でやるのはほんのひと月だけだった。当時の私はN市に住んでおり現場に行くには「遠征」しなければならず多くは行けなかったこと、進路の都合で時間を割くことできなかったことが災い、「一番好きだった」衣装を見ることができたのは残念ながら一度だけだった。それでも、どうにか合間を縫って行った。およそ月一くらいであったろうか。「RW」の時に準じるくらいには行った。

 こうして「F」は新しく活動を始めた。いや再開したというべきか。私には希望の嚆矢の如く見えていた。

 

 しかし、希望を早々に潰えた。いや、厳密には潰える・・・というよりも暗雲が立ち込めていた。

 正直なところ、カバー元となった「男性グループ」の曲というか、それそのもの自体がそもそもそこまで好きでなかったのだ。見ているうちに好きになるのだろうか、と思いもしたがそうなることもなかった。

 このような調子では、飽きるし、陳腐に思えて仕方がなかった。最初は物珍しさこそ覚えれど、好きになることがなければ、「つまらない」と思うほかなかった。しかし、それでも行き続けた。何があろうと推しに会えるのだ。それ以上に望むものはあろうか。

 今でこそ言えるが・・・新しい活動が始まってからしばらくしてからの時に「F」が零したことによると、この「期間限定活動」が終わってからは正式なグループが発足して「F」もその一員として正規のアイドル(斯様に書くとこの期間限定活動がパチモンのように見えるかもしれないが・・・)で新しく活動するようであった。これは後に「.RV」になるグループであった。確か「.RV」のデビューの4か月ほど前であったかと思う。

 なるほど。新しいグループが好きになれるかはともかく、次があるならとりあえずこの「期間限定活動」は見届けよう。正直最終的に好きになれたつもりはないが、次のいわば「繫ぎ」として申し分なかろう。それなりに珍しいものは見れた、と当時の私にはそう思えたのだった。

 

 結局、この「期間限定活動」のほぼ最後(ラストライブは行けなかった、いや、「行かなかった」注1)までは行った。

※注1「行かなかった」・・・後述するが、正式活動前の「ラストライブ」の段階で私は愛想をほぼほぼ尽かせてしまっていた。一応は月1程度は行った・・・という形式を守り、それ以上に行くことはしなかった。加えて当時既に新たな主現場を見つけてしまい気持ちがそっちに移ってしまっていた。

 

 なぜ、私は「そう」してしまったのか。「諦めてしまった」のか。

 

 理屈なぞいくらでもこねくり回せてしまう。いくらでも理由なぞあるし、結局のところ「総合的」に「考慮」した「結果」というマジックワードに帰結してしまうのだが、それだけではなんらの説明にもなるまい。

 

 単純には私の性分・・・ライブやコンセプトそのものに不満足であったからだ。星の数ほどあるアイドル、何も自分に「合わない」グループに付き合う道理などありはしないのだから。飲めぬ者が飲めない酒を飲む必要があろうか。別にパフォーマンスに不満足であったわけではなかった。しかし、ただただ合わない。そのことから背けることはできなかった。何より不満足でいるのを「見られている」、「察知される」ことが何よりも嫌だった。 

 いや今思えば・・・実はあのコには内心わかられていたのかもしれぬ。「RW」に行っていた時の私はいわゆる「フリコピ勢」であり、曲中はできるだけフリコピに徹していた。それに対して「期間限定活動」の間は、もっぱら地蔵(注2)であった。単にフリを覚えるのに追いつかなかったのもあるがそれ以上にカバー曲そのものに興味を持てず、面白い、楽しいと思えなかったのだ。かつて「フリコピ」をしていたオタクが「地蔵」になる。その異変は気づこうと思えば気づけたのだろう。仮に気づいてたとすると・・・それが嫌であった。もっともそこまで察しているのかはわからない。私の考えすぎであればよいが。

※注2地蔵・・・一番無害でマナーのある楽しみ方である。曲中はもっぱら推しメンのカラーのペンライトを振るくらいで特に動かずにライブを楽しむスタイル、またはそのスタイルを採る者。もっとも私はペンライトすら持っていなかった。

 

 私が行かなくなるまで・・・離れてしまう所以で一番大きかったことは、活動形態が変わってもそれでもなお熱心に、楽しそうにいる者と私を対比してその「温度差」にあまりの衝撃があることに気づいたことだった。これに気づいたのがついに「切れ目」となった瞬間であった。

 他者と比べるべきではない・・・一般論としては説明される。しかし、それでも比べてしまうのはもはや人間の本能じみたものであろう。

 現場に行っても、推しに会えることができても、一応に楽しい。だが何か満たされない。しかし周りにオタクは心底楽しそうに推しと話している。その「温度差」があることにふと気づいてしまったのだ。そしてついには耐えられなかった。ついに辿り着いてしまったのだ。ある結論に。

 

 「もはやこの現場は私をターゲットとしない。」

 

 ある種の「用済み」のようなものであろうか。いや被害妄想が過ぎるかもしれぬ。別に何かをしたわけではない。何か言われたわけでもない。しかし、何か自分の居場所が「ここではない」ことにそこはかとなく感じとってしまっていた。ここがなにか「アウェイ」であることを覚えていた。

 好む者はいる、好まぬ者もいる。ただそれだけであった。ただ私は「前者」になれ得なかった。もはや私にはそれでもなお通い続けるほどの感情を失ってしまっていた。もうこれ以上は耐えられなかった。合わなくなってしまったのもまた、宿命、運命であろう。致し方あるまい。

 

 そうして私は「気づい」てしまい、「気持ち」を失ってしまった。気持ちというものは大海を揺蕩う泡沫の如く移ろい、泡沫に帰するか。こうもあっけなく変わるとは。こうして残ったものは「かつての思い出」、「疎外感」、「推しへの申し訳なさ」であった。残った「申し訳なさ」はたやすく消えゆることはないだろう。しかし、それでもなお「自分への正直さ」を捨てることができなかった。

 

 おそらくこの「温度差」に気づかなければ・・・いや寧ろ受け入れられていたならば違った未来があったろう。今でもあのコのところに行っていたのであろうか。ただ「そうではない」違う現実だけが眼前にあった。

 

Fin.